初めまして。
しらりんです。
本日はウェブサイトにお越しいただき、どうもありがとうございます。
私はWebスキルゼロの病院や薬局で働いているごくごく普通な薬剤師でした。
しかしあることがきっかけで、ウェブマーケティングのスキルを身に付け、現在フリーランスとして月収30万円を目指して活動しています。
この記事では、なぜ普通の会社員だった私が、在宅ワークで月収30万円を目指すようになったのか、私の自己紹介にお付き合いください。
基本情報
しらりん
30代 3歳と5歳のママ 転勤族の夫と4人暮らし 趣味は温泉と読書
<仕事>
・インスタ運用代行
・ Webライター
・リモラボでのセットアッププランナー
<実績>
・自身のInstagramアカウントで薬の豆知識や副業について発信(現在フォロワー1.9万人)
・インスタ運用代行、現在3社運用中
【クライアント実績】
・企業の薬剤師向けのアカウントでフォロワー3.8万人達成
幼少期〜中学生時代:不登校だった小学校時代
私は、ごくごく一般的なサラリーマン家庭に長女として生まれました。
小さい頃の性格は一言で言うなら、真面目で内向的、公園遊びは行きたくない、家の中でりかちゃんやおままごと、本を読んでいることが最高に幸せだと思っていました。
小学生の時に、当時は診断名がはつきませんでしたが、今思うといわゆる「小児うつ」になり、小学校高学年は半分くらいしか学校に行っていませんでした。
中学生になった時になんとか精神面は回復。ずっと見守ってくれた親には本当に頭が上がりません。部活は吹奏楽部に入り、部活にのめり込む毎日。学校ではいわゆる優等生タイプでしたが、今思うとかなり周りの目を気にして自分に無理をして過ごしてたと思います。
高校生〜大学生:医療職を目指した学生時代
私が薬剤師になりたいと思ったのは、高校生の時に地元の病院で薬剤師体験に参加したことがきっかけです。
また祖母が病気になり、入院介護生活を近くで見て人の役に立ちたい、医療現場で人を治したいと考えるように。なりました。性格的に看護師は向いていないだろう、金銭的に医学部は無理という判断で薬学部を目指すことに。
しかし大学時代は、サークルにのめり込み、正直学業は2の次でした。でもお金をかなりかけてもらっている自覚はあったので意地でも単位は落とさないと決意し、6年間再試験ゼロで乗り越えました。
就職先も無事に決まり、あとは国家試験に受かるだけ!不安もあるけど人生これからだ!というときになんと父の病気が発覚。
当時思ったことは、「実家にこれ以上お金は出してもらうわけにはいかない」、「絶対に国家試験浪人はできない」、「絶対に合格する」と当時の私は強く思いました。
私が受けた当時、薬剤師の国家試験は7〜8割は普通に受かるという認識。しかし私が受けた年はまさかの激ムズの年で、同級生の半分以上が落ちるという異常事態でしたが、ギリギリ合格することができました。
薬剤師としての奮闘と父親との死別
薬剤師として最初は調剤併設のドラッグストアで勤務しました。最初の配属地が関西の方だったので社宅を借りて、勤務していましたが、就職してまさかの1ヶ月で父の病名が判明し、余命も長くないことが発覚。
やっと手にした薬剤師という職業と今後のキャリアを考えると関西にいた方がステップアップできることは目に見えていましたが、父の病気が悪化し、早々に関東に戻ることに。
2年で父は亡くなりましたが、最後は自宅での介護生活でした。同じ関東県内にいたのに仕事が忙しいのを理由にあまり頻繁には帰っていませんでした。
なんで仕事を辞めて近くにいなかったんだろう。。。介護休暇でも一時的な休職でも手段はいくらでもあったのに。
会いたい人には会えるうちに会っておく、
親孝行はしたいと思った時にはできないこともある。
この体験はその後の私の働き方に大きな影響を与えたと思います。
夫の転勤と出産
父との死別からやっと少し気持ち的にも生活的にも落ち着いた頃、結婚したのですが、しばらくして夫が地方転勤することに。
一緒についていくことにしたので、仕事は転職することにしました。
転職先を考えた時に、真っ先に浮かんだのは病院でした。
本当は学生の頃から病院で働きたいと思っていましたが、就活の時期にちょうど父の病気が判明したこともあり、病院薬剤師は給料が低すぎて諦めていたのです。
でも病院薬剤師を経験するならきっとこのタイミングしかない!と感じ、年収は下がりましたが、精神科病院に転職しました。
その後は、慣れない土地での生活と新しい仕事に苦戦するも、第一子も授かり地方で充実した毎日を過ごしていました。
時短勤務でもワンオペ育児に疲弊する毎日
数年地方で過ごしましたが、第二子妊娠のタイミングで東京に戻ることに。ここで一旦仕事を辞めて専業主婦になりました。コロナ禍が始まったばかりの年だったので、大変でしたが第二子も無事に出産。
専業主婦になり、家庭で子育てに専念していました。
しかし、一年で子どもとの毎日家の中にいるだけの生活に耐えきれなくなり、再度転職を考えるようになりました。
薬剤師だし資格もあるしと楽観的に考えていましたが、ここで子どもがいて、保育園も激戦区の地域だったので転職することのハードルの高さに驚きました。
独身の時はあんなに求人があったのに、紹介されたのはたった2件…
なんとか、保育園つきの総合病院に正社員でフルタイムで復帰しましたが、今思うとこれが無謀なチャレンジだったと今では思います。
主人も激務のため平日はほぼ戦力になりません。未就学児、2人を抱えてのワンオペは地獄で…。自分自身も体調を壊すことが増え、まさかの網膜剥離になり、2度入院する事態にも。
ここで、この働き方は限界だと痛感。
今後の自分の働き方を本気で考えるようになりました。
時間に縛られない働き方を求めて、副業をスタート
そもそも、薬剤師はどこでも働けると思っていたけど、実際は出勤しないと仕事にならないので在宅ワークの選択肢がほぼないということに限界を感じました。
また専門職とはいえ、AIの登場でどうなるかわからない不安もあり、収入の柱を複数にしたいと決意。
最初は実績もスキルもゼロだったので、まずはクラウドワークスでお仕事を探してみました。しかし、あまりに低単価に疲弊。でもまずは実績作りだと思って隙間時間にがむしゃらに作業していました。
またSNS未経験でしたが、インスタとX(Twitter)で発信活動もスタート。ここで薬剤師として、インスタで発信を始めたことが大きな転機に。
薬剤師としてインスタでの発信はありがたいことに多くの方に見ていただき、今ではフォロワー1.9万人を達成。この実績をもとに運用代行も最初の1件をクラウドワークスで獲得することができました。
しかし、やはり独学だけでは無理だろ判断し2023年4月にリモラボに参加。
当時は本業の薬剤師の仕事に子育てもあったので、時間の捻出には一番苦労しましたが、同じように頑張る仲間に出会えて本当に良かったと思います。
フリーランスとして独立
薬剤師の本業と副業、また子育ての3足のわらじ状態でまたもや時間的限界を感じていた頃、夫の再度転勤が決まり、引っ越すことになりました。
本当の意味で働き方を変えるタイミングは今しかない!と2023年6月に病院を退職。
2023年7月、どこまでできるかチャレンジしたいと決意し、フリーランスになることになりました。
フリーランスとして、インスタ運用代行やライター業、またリモラボ内でもライターやプランナーとしてお仕事をさせていただいています。
今後のビジョン
何歳からでも、キャリアを諦めても、転勤族で子供が小さくても、理想の働き方を実現することはできる。
そんな思いでこのブログを始めました。
スキル0からのスタートでしたが、正しいやり方を知っていれば1年で月収30万円は達成できます。
会社だけに頼らない、収入の柱を複数作り将来の不安を少なくしたい、自分のやりたいことを諦めたくない方に向けて。
このブログがヒントになれば幸いです。